前回のブログで無職の状態で国際結婚がスタートしたことはお話ししました。
今回は、その無職状態での国際結婚をお話ししたいと思います。
まず、仕事がないので朝から夜まで妻と遊びまわる毎日。貯金が底をつくまで遊び回りました。
買い物に行ったり、映画に行ったり・・・
「今日は何する?」
というのが朝の言葉。
そんな生活をしていましたから、半年ほどで貯金も底をついて、いわゆる
一文無し
になってしまいました。
まぁ、もともと貯金がたくさんあった訳ではないので、結婚してからの半年も良い暮らしではなかったのですが、仕事もしないで遊ぶというのは良くないですね。
半年後に妻に言われた言葉
「そろそろ仕事したら?」
まさに言われるとおりですね。仕事はしないといけません。
まず最初に自動車屋さんに行きました。1週間で辞めました。
つぎにガソリンスタンドに行きました。3日で辞めました。
このあたりから妻は私がサラリーマンができないことを悟ったのでしょう。
「1年は私が働いて食べさせてあげるから、あなたは好きなことをしなさい。その代り、1年後に何も結果が出てなかったら文句を言わずに就職しろ!」
と言われました。
私は国際結婚の仕事をちゃんとやりたい、と思い妻の両親から100万円を借金しました。普通は逆ですよね?
私は妻の両親から借金しました!
妻の両親に借金しているので返さなければなりません。その分、仕事に真剣になれたのだと思います。
国際結婚の仕事を始めたころは、お客様もなく、ただただ日が過ぎていくだけでした。
妻の収入も生活ができるギリギリの線でしたから、本当に極貧生活でした。
自動販売機にお金を入れてジュースを買うのは金持ちのする行為だと思っていました。当時の私たちに自動販売機は夢の機械でしたから。
1日の生活費は1000円です。家のローンや光熱費を払ったら、妻の給料は残っていません。それでも妻は文句も言わずに1年間、私を食べさせてくれました。
たまに臨時収入で入ってくる1000円や2000円を使わずに貯金していました。
1年後、なんとか国際結婚の仕事で食べていけるようになったので就職しなくて済みましたが、これも全て妻のおかげでした。
あの時、妻が「食べさせてやる」と言ってくれなかったら今の1151チャイナウェディングは存在していません。
本当に妻には苦労をかけました。妻の両親にも世話になりっぱなし・・・ いつか妻にも妻の両親にも恩返しがしたいですね。
極貧生活をしていたころの預金通帳を見ると、1000円の入金、2000円の入金と記帳されています。あの当時、臨時収入で得た1000円を使わずに貯金していたんです。
当時の貯金通帳は私たち夫婦の大切な大切な思い出にしています。
今も夫婦で貯金通帳を見ると、自然と涙が出てきます。
妻と苦労して、妻の両親に心配をかけながら築き上げてきた家族です。
極貧生活で始まった私たちの国際結婚生活のお話しでした。
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